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音楽教育、それで大丈夫?

2017年7月15日

今も昔も多くの人が日々「音楽の授業」、つまり音楽教育を受けています。しかしなぜそのようなものが存在するのでしょうか。そして音楽教育をする目的と照らし合わせたとき、何がベストな方法なのでしょうか?今回はそれをご一緒に考えていきましょう。

なぜ「音楽教育」をするのか

日本では幼稚園から高校まで多くの学校に音楽の授業がありますが、その内容を定めている文部科学省の学習指導要領上には

1 音や音楽への興味関心を養い、音楽を愛好する心情を育てる
2 音楽によって生活を豊かなものにする
3 表現する能力を高めてその楽しさに気づく
4 鑑賞する能力や感性を育む

というような目的が設定されています(幼稚園〜高校までの各内容を要約してあります)。

出典

この記事では、これらの目的の達成のために、現行の音楽教育よりも効率的で安全かもしれない方法を2つ提案しています。

日本の音楽教育

こどもには小中高で音楽の授業を受けさせていれば、音楽を愛好し、生活が豊かになり、表現する能力がつき、鑑賞する能力や感性が豊かになるのでしょうか?多くの人はここに疑問を持ちませんが、私としては慎重に考えたい点が二つあります。

評価・分類が行われている

まず、音楽の世界に「優劣」「正解・不正解」「お手本」という考え方を持ち込みがちであるという点です。

音楽の授業では「ちゃんとハーモニーをつくりましょう」「ちゃんとリズムを刻みましょう」といってハーモニーやリズムの不均一さを「間違い」「技術不足」としたり、ピアノやリコーダーといった「鳴らし方」があらかじめ決められた道具である「楽器」の弾き方・鳴らし方にそぐわない扱い方も「間違い」とする一方で、クラシックの「名曲」とされている演奏や、ハーモニーやリズムを均一・示されたとおりにコントロールするのが得意なこどもを「お手本」として他のこどもに聴かせる、ということも行われています。

つまりこれは先に生きた人間の音楽の感覚が「正しい」「お手本」「常識」だと位置づけることで、相対的に現代に生きるこどもが元から持っていた音楽の感覚を否定・無視することが容認されているということでもあります。ここでは「正しい」「お手本」に忠実であるほど評価が高くなり、それが点数となって表されます。これはこどもの優劣を判断する手段として音楽を使い、彼らが本来持っていた感覚を上から「正しい音楽」に塗り替えることで「平均的」「模範的」な感覚へと誘導しているということでもありますが、これは逆に見ればこどもが自分で自分たちの個性や独自性・多様性を認めづらくなる環境であるとも言えます。

ここで考えられる問題点は、まずこども自身の感覚が認められなかったり、達成までに長い道のりを感じるようなお手本を提示されることで音楽に対して距離を感じるようになる可能性があること、それによって表現する意欲や自信を失うだけでなく、こども独自の表現(音楽における個性)を失う可能性があるということです。これでは1の「音や音楽への興味関心を養い、音楽を愛好する心情を育てる」という目的を果たせず、3の「表現する能力」も阻害されてしまう可能性があります。特に、独自の表現を失うということに関しては自分自身の体験から実証できるのですが、もともと持っていた表現の感覚はいったん他の感覚に塗り替えられてしまうと取り戻すのがたいへん難しく、私はこのリスクがあるものを「危険」、そうでないものを「安全」と呼んでいます。

既存の音楽を前提にしている

もう一つは、ピアノやギターなど「正しい」鳴らし方がすでに存在する既存の楽器や、五線譜・コードネームのような「正しい」書き方・読み方がすでに存在する既存の楽譜や音楽理論を前提にしているということです。

音楽教育を受けるとき、楽器を選ぶことができたとしてもその選択肢には既存の、つまり先人が完成させた楽器があり、さらにそれは既存の楽譜や音楽理論に基づいており、自分たちでつくる・組み合わせるということが想定されていません。こども側にその(既存の)楽器や楽譜を使いたいという意思があるのであればともかく、何もわからない状態や何でも構わない状態のこどもに、特に理由もなくピアノやギターという完成された道具や完成された楽譜・音楽理論を提示するということは、こどもが創造的になることができる絶好の機会を必要以上に限定している、と捉えることもできます。できる限り自分たちでつくる・組み合わせるという最も創造性を刺激する選択をせずに、あえてそれを既存の楽器・楽譜・音楽理論という決められた方法に限定するのにはそれ相応の理由があるはずなのですが、そこまでは考慮されていない、すなわち特に理由はなく既存のものだけが採用されているようです。ということは、3の「表現する能力」を追求するならば、より効率的な方法がありそうです。

上に挙げた日本の音楽教育にどのような工夫をすることでより効率的・安全に目的を達成できるのでしょうか。私からはこのような提案ができます。

小山和音からの提案:『音楽をつくる』

これは音楽経験がなくともゼロからオリジナルの楽器や楽譜をデザインし、それらを使って即興演奏や作曲をするワークショップです。詳しくはこちら

このワークショップではまず序盤に、「音楽とは何か?」「楽器とは何か?」「曲とは何か?」といった根本的な質問を投げかけます。そこで音か音楽か曖昧な音声を参加者に聞いてもらうと、「音だ」という意見と「音楽だ」という意見に分かれる、つまり「音」と「音楽」の境界線が人によって違うということを実際に体感することができます。

その後、自分でデザインしたオリジナルの楽器を製作します。ここで作る楽器の材料は、身の回りに転がっている箱や紙切れで十分です。音楽というとピアノ、ギター、ヴァイオリンといった完成された楽器が必要なように思われがちですが、必ずしもそうでないことは私の「音楽をつくる」をはじめ、世界中の演奏家によって証明されています。楽器とされていない物からでも音は出る、それも自分の好きな音・求めていた音が出る可能性も十分あります。身の回りにあふれている物、捨ててしまうようなモノを集めて組み合わせ、生徒全員で楽器や楽譜をゼロからデザインし、それらを使って曲を作る『音楽をつくる』のような方法は資源的・経済的にも無駄がなく、世界中どこでも、誰でもできる「音楽教育」です。

ピアノやギターのように最初から「楽器」として作られた物体には「正しい鳴らし方」が存在します。ということは、いわばそれがあらかじめ設定されたゴールであって、そこにたどり着くまでは「練習」です。それに対して身の回りに転がっている箱や紙切れは、どうやったら自分の好きな音・求めている音が鳴るか、叩く・こする・吹く・はじく・振り回す…どの方法がいいか、何と組み合わせると鳴らしやすいか、どのように持てば疲れないか、それらを踏まえてその物体をどう改良していくか───と、すべてにおいて発想と創造性が必要になる、つまり3の「表現する能力を高める」という目的を達成することができそうです。

次に「楽譜」をゼロから作ります。例えば一本の線の上に様々な記号を並べ、◯が来たら箱を叩き、△が来たら指を鳴らし、✕は休む…など、自分たちで作った楽器をもとにその場でしか通じないルールを決めます。

そして最終的に自分のオリジナルの楽器と楽譜を使ってオリジナルの「曲」を作ることになりますが、ここでも既存の音楽で「正解」とされている音楽理論などは扱わず、可能な限り客観的に参加者自身が持っている感覚を引き出すことを最優先にしながら、ただの音をどう処理すれば人間が音楽と感じるものに近づくのかなど、参考程度にいくつかの情報を提示しつつ、参加者が「曲」と呼べるものを作る手助けをしていきます。

これは「音楽」にフォーカスした試みですが、少し視野を変えて「音」という要素にも注目してみると、このような手段もあります。

もうひとつの提案:『音さんぽ』

人が能動的に音楽を生み出す『音楽をつくる』とはまったく逆のアプローチとして、ワークシートを片手に耳をすませて街や自然の中を自由に歩きながら「風景を聴く」というワークショップが『音さんぽ』です。

ワークシートには数々の質問があり、今聞こえている音すべてをひとつずつ挙げ、それぞれの音が大きいか小さいか、近いか遠いか、残しておきたいか消してしまいたいか、この場所にしかない音かどうか、あるいはその場所の音全体を聴いたとき、目をつぶると変化があるかどうか、その場所の音を言葉や絵で描き表すとしたらどうなるか、天気が違ったら音にどのような変化がありそうか、半年前や10年前、12時間後や50年後にはどのような音がしていそうか……といったことを自由行動中に立ち止まった場所で考えます。

音さんぽについて、詳しくはこちらか、または音さんぽについて綴った記事『音の聴き方 〜「音さんぽ」の現場から〜』をごらんください。

音さんぽに参加された方の感想をいくつか挙げてみると───

普段はイヤホンで音楽を聞きながら歩いているので、今まで気づかなかった音・声などなどが聞けて新しい発見ができました。良い気分転換になりました。楽しかったです。

───2013/8/3 音さんぽ@大阪(天神橋筋六丁目)

自分自身を「無」にする貴重な時間でした。目を開けていると勝手に音を想像してしまうのですが、目を閉じることで、自分の体・頭をからっぽにすることができ、浄化されるような気がしました。人生の「点」を共有できたことを嬉しく思います。このワークシートおもしろいですね!聴いたこと、聞こえたことを「コトバ」にすることで、自分が居心地の良い場所がどういう所なのか分かって良いと思います。

───2013/10/20 音さんぽ@沖縄(南城、琉球ニライ大学)

こんなに時間に余裕を持って外の音を集中して聞いたことは無かったです。音楽に生かせそうです。寒い、暖かい、五感的な面で変化すると感じ方も違う。雰囲気って大事だな〜

───2013/2/17 音さんぽ@名古屋(大須)

目を閉じて聴こえてくる音に集中してみると、普段気づかなかった音が聴こえてきたり、こういう音があったらいいのにとか、耳ざわりに感じる音があったりしました。普段写真を撮る時に目に見えるものばかり意識していたので音にも意識を向けてみるとまた表現が 変わってくるのかなと思いました。

───2013/9/15 音さんぽ@鹿児島(天文館)

ふだん視覚中心の生活を送っているコトを再認識しました。自分の中での聴覚を持つ意味合いを考えてみたいと思います。

───2013/10/20 音さんぽ@沖縄(南城、琉球ニライ大学)

初めて音さんぽに参加して、音の種類や性質にすごく興味がわきました。音楽ではなく、身近にある音でこんなにも味わうことができると思ってびっくりしました。音を人に伝える際の難しさを感じ、せっかく感じたことは伝えられるようになりたいと思いました。

───2013/7/21 音さんぽ@東京(中野)

普段している音が、あらためて聞くことによりたくさん音がしている事に驚き、家に居る時TVをなるべく消そうと思った。

───2013/9/21 音さんぽ@大分(豊後高田、国東半島アートプロジェクト長崎鼻ワークショップ『音さんぽ』)

街中でも意外と多くの音が鳴っていて、ひとつずつは普通なのに集まることによって「生活」とか「人のいる場所」の音に変わっていく感じが不思議だった。自転車のチェーンや走り出す音、スタンドの音は好き(普通)だけど、ブレーキの音は好きじゃないんだなあと思った。

───2013/8/3 音さんぽ@大阪(天神橋筋六丁目)

この「音さんぽ」という試みからは、自分たちで新しく何かを作ったり、変化を起こしたりしなくても、すでにある空間・環境そのものでさえ人の考え方・捉え方にこれほど多くの変化を生むことができる、そして誰でも・どこでも・いつでも、簡単なワークシートさえ用意すれば(あるいは用意しなくても)「音さんぽ」をすることができます。

これはまさに4の「鑑賞する能力や感性を育む」だけでなく、参加者の感想にある通り、ここでは音や音楽というフィールドを飛び越えて日常生活における変化があることもわかります。すなわち2の「音楽によって生活を豊かにする」という目的も達成することができそうです。

このワークショップで分かることのひとつに「他人の音の聴き方」があります。これはつまり、同じ音ひとつ取っても、自分と他人では違う音の聴き方をしていることもあれば、自分には聞こえていない音が他人には聞こえていることもある、というようなことを知ることで、いわゆる個性や多様性を認識する機会も生まれることもあります。

まとめ

私自身、幼稚園〜高校まで音楽教育を受け続け、それに疑問を持ったことが私が「音楽をつくる」「音さんぽ」を始めることになったきっかけでした。

もちろん「音楽をつくる」や「音さんぽ」がすべての人に良い変化をもたらすとは断言できませんが、その可能性が大きいものをこうして選択肢として提示することで、一人でも多くの方のお役に立つことができれば嬉しく思います。

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筆者プロフィール
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小山和音(こやま・かずね)

オランダ在住の音楽家。「評価しない・教えない・自分たちで作る」にフォーカスしたオンラインの音楽学校、音声や音楽に特化したソフトウェア開発、音や音楽を扱うワークショップや講座、音楽レッスン、作曲・即興演奏などを本業としています。

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