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日本の音楽教育の問題点と目的を整理してみた

公開 2017年7月15日
更新 2022年8月10日
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私たちはなぜ音楽教育を受けるのでしょうか?

そして音楽教育の目的を考えたとき、その目的を果たすためにいちばんよい方法は何でしょうか?今回はそれをご一緒に考えていきましょう。

ここでは主に日本の幼稚園〜高校の一般教育の中で行われている音楽の授業について扱いますが、音楽教室(習い事)や、音楽学校や音楽大学などでも似たような状況ですので、ご自身の状況に合うように読み替えていただければ幸いです。

もくじ

日本の「音楽教育」の目的

日本では幼稚園から高校まで多くの学校に音楽の授業がありますが、その方針を定めている文部科学省の学習指導要領上には

A 音や音楽への興味関心を養い、音楽を愛好する心情を育てる
B 音楽によって生活を豊かなものにする
C 表現する能力を高めてその楽しさに気づく
D 鑑賞する能力や感性を育む

というような目的が設定されています(幼稚園〜高校までの各内容を要約してあります)。

出典

日本の音楽教育の問題(矛盾)点

では、こどもには音楽の授業を受けさせていれば、音楽を好きになり、生活が豊かになり、表現する能力がつき、鑑賞する能力や感性が豊かになるのでしょうか?

筆者としては慎重に考えたい点が3つあります。

1 評価・分類が行われている

まず、音楽の世界に「優劣」「正解・不正解」「お手本」という考え方を持ち込んでいるという点です。

音楽の授業では「ちゃんとハーモニーをつくりましょう」「ちゃんとリズムを刻みましょう」といってハーモニーやリズムの不均一さを「間違い」「技術不足」としたり、意図された弾き方・鳴らし方にそぐわない楽器の扱い方も「間違い」として評価をしがちです。

また、クラシックの「名曲」とされている演奏や、ハーモニーやリズムを均一に示されたとおりにコントロールするのが得意なこどもを「お手本」として他のこどもに聴かせる、といったことも行われています。

これは過去の人間(例えばバッハやモーツァルト)や日本から遠い文化(例えばヨーロッパやアフリカ)がルーツの音楽を「正しい」「お手本」「常識」とすることで、間接的に現代の日本のこどもがもともと持っていた音楽の感覚を否定・無視することが容認されているということでもあります。

そしてここでは「正しい」「お手本」に近いほど評価が高くなり、それが点数となって表されます。これはこどもの優劣を判断するために音楽を使い、こどもが本来持っていた感覚を上から「正しい音楽」に塗り替えることで「平均的」「模範的」な感覚へと誘導しているということでもあります。

ここで考えられる問題点は、まずこどもの音楽が教師に認めてもらえなかったり、達成が大変そうなお手本を提示されることで、音楽に距離を感じるようになる可能性があること、それによって表現したいという気持ちや自信を失ったり、こども自身の個性や人それぞれの違いを認めづらくなる可能性があるということです。

これではAの音や音楽への興味関心を養い、音楽を愛好する心情を育てるという目的を果たせず、Cの表現する能力も養えそうにありません。

2 音楽が「教えられ」ている

このように評価や分類が行われているだけでなく、音楽の授業そのものが「こどもは何も持っていない」という前提で、音楽を一方通行で「教える」仕組みになっています。

一方通行で「教えられる」のが当たり前になってしまうことで、音楽を自分の力でつくり出す楽しさや、自分が主体的に関わっている実感を得られなくなり、自分が「表現できる何か」を持っているということにも気づかない可能性があります。

そしてこどもは受け身になり、上からだんだんと「模範的な」「ばらつきのない」音楽の感覚に塗り替えられ、本来持っていた感覚は徐々に失われていきます。

これは筆者自身の体験から実証できるのですが、もともと持っていた感覚はいったん他の感覚に塗り替えられてしまうと取り戻すのがとても難しく、場合によっては一生失われてしまうこともありえます。

これではCの表現する能力を伸ばすこともできそうにありません。

3 「完成された」音楽を前提にしている

もう一つは、ピアノやギターのように「正しい」鳴らし方が決まっている「完成された」楽器や、五線譜・コードネームのような「正しい」書き方・読み方がある「完成された」楽譜や音楽理論しかないというところです。

音楽教育を受けるとき、楽器を選ぶことができたとしてもピアノやギター、リコーダーというような他人が完成させた楽器しかなく、さらにそれは完成された楽譜(五線譜)や音楽理論がベースとなっていて、自分たちでつくる・組み合わせるということが想定されていません。

そのような楽器や楽譜を使いたいのならともかく、「何もわからない」「何でもいい」というこどもに、特に理由もなくピアノやギターという完成された道具や完成された楽譜・音楽理論を提示するということは、こどもの創造力を制限しているということでもあります。

Cの表現する能力を追求するならば、もっと効率的な方法がありそうです。実際、筆者の主宰する音楽教室やワークショップでは、完成された楽器や楽譜がなくとも「音楽」を楽しめることが証明されているし、世界中の音楽家もそれを証明しています

音楽教室(習い事)や音楽学校、音大でも同じ

筆者は音楽教室と音楽学校(専門学校)をそれぞれ卒業し、業界柄音楽大学の教え方についてもなんとなく把握をしていました。

衝撃的だったのは、幼稚園〜高校以外で音楽を教えるところ(音楽教室、音楽学校、音楽大学)は、幼稚園〜高校の音楽の授業と問題点がまったく同じであるというところです。

つまり音楽教室だろうと音大だろうと、基本的に評価・分類はされているし、音楽が一方通行で教えられているし、完成された音楽が前提とされています。

筆者からの提案:『音楽キッチン』

私からはこのような提案ができます。

「音楽キッチン」は音楽経験がなくともゼロからオリジナルの楽器や楽譜をデザインし、それらを使って即興演奏や作曲をする音楽教室です。詳しくはこちら

これは、今ある音楽の教え方に疑問や違和感のある方や自分の表現の幅を広げたい方、お子さまの創造性を大切にしたい方向けの、「自分らしさを第一に音楽をつくる場」です。すべてオンラインで完結するため世界中どこからでも参加可能です。

音楽キッチンの特徴

音楽キッチンの特徴は3つ。それぞれ日本の音楽教育の問題点を解決します。

1 評価・分類をしない

音楽キッチンに「上手い」「下手」「良い」「悪い」はありません。

音楽がいかに身近なものかを感じられるように、また、表現したいと思う気持ちや自信を育て、こども自身の個性や人それぞれの違いが認めやすくなる環境をつくるため、主観(「好き」や「嫌い」)と客観(事実)を徹底的に分け、正解・間違い・上手い・下手・お手本・才能というような評価や分類は一切行いません。「試験」や「成績」もありません。

2 音楽を教えない

「こどもは何も持っていないから教えてあげる」のではなく、こどもが持っているものをいかに傷つけずに引き出すかという姿勢で、敬意を持ってこどもと接します。

こどもの感覚や表現を守りながら引き出すため、私から「音楽を教える」のではなく、自分で表現するための手段やコツといった「参考情報」をこどもに見せつつ、そのお手伝いをしていきます。

どのような素材を組み合わせた道具をどのように鳴らすのか、どのように音楽を記すのか、どのような音を使うのかなどはもちろん自由で、すべてこどもが決められます。

3 自分たちで作る

ピアノの技術も、五線譜を読む力も、音楽理論を理解しているかどうかも関係ありません。

こどもの知識や経験の差をリセットし、創造力を発揮できる環境をつくるため、ピアノやギターといった完成された楽器や五線譜という楽譜、人の作った曲はもちろんドレミやCメジャーというような完成された音楽理論も扱いません。

その代わりに自分に合ったオリジナルの楽器や楽譜をデザインし、それを使って音楽をつくり、必要であれば音楽理論も自分たちでつくります。

このように自分の中にあるものをいかに表現し、音楽をいかに自分の力でつくり出すかということを追求していきます。

音楽キッチンの流れ

まずは哲学的な問いからスタート

この教室は、「音楽って何?」「楽器って何?」「曲って何?」というような質問から始まります。これを考えておくと、表現がとてもスムーズになります。

教室の中で「音」なのか「音楽」なのか曖昧な音声を参加者に聞いてもらうと、「音だ」という意見と「音楽だ」という意見に分かれる、つまり「音」と「音楽」の境界線が人によって違うということを実際に体感することもできます。

テーブルに並んだ「楽器」の素材たち

楽器をゼロからデザインして創る

その後、自分でデザインしたオリジナルの楽器を作ります。ここで作る楽器の材料は、身の回りに転がっている箱や紙切れで十分です。音楽というとピアノ、ギター、ヴァイオリンといった完成された楽器が必要なように思われがちですが、必ずしもそうでないことは私の「音楽をつくる」をはじめ、世界中の演奏家によって証明されています。

身の回りにあふれている物、捨ててしまうようなモノを集めて組み合わせ、生徒全員で楽器や楽譜をゼロからデザインし、それらを使って曲を作るのは資源的・経済的にも無駄がありません。

ピアノやギターのように最初から「楽器」として作られたモノには「正しい鳴らし方」があります。ということは、それがあらかじめ設定されたゴールのようなもので、そこにたどり着くのが早いこどもは「上手い」「才能がある」、遅いこどもは「下手」「才能がない」という評価が生まれます。

それに対して身の回りにある箱や紙切れには「正しい鳴らし方」がありません。どうやったら自分の好きな音・求めている音が鳴るか、何と組み合わせると鳴らしやすいか、どのように持てば疲れないか、それを踏まえてその物体をどう改良していくか───と、すべてにおいて発想力と創造力が問われる、つまりCの表現する能力を高めるという目的を達成することができそうです。

楽譜をゼロからデザインして創る

次に「楽譜」をゼロから作ります。例えば一本の線の上に好きな記号を並べ、◯が来たら箱を叩き、△が来たら指を鳴らし、✕は休む…というように、その場でしか通じないルールを作ります。

「楽譜」を作っているところ

ゼロから曲を創る

最後は自分のオリジナルの楽器と楽譜を使ってオリジナルの「曲」を作ることになりますが、ここでも世の中で「正解」とされている音楽理論などは扱いません。こどもの感覚を引き出すことを最優先にしながら、ただの音をどう処理すればそのこどもにとっての「音楽」に近づくかを一緒に考え、「曲」と呼べるものを作る手助けをしていきます。

教育先進国オランダで取り入れられたプログラム

筆者がユトレヒト州の基礎学校で担当した特別授業

UNICEFが2013年に先進31ヶ国の物質的豊かさ、健康と安全、教育、日常生活上のリスク、住居と環境に基づいて行った調査によれば、オランダのこどもの幸福度は、あの北欧を差し置いて世界1位。日本では認可されずに「オルタナティブ教育」として特別扱いされている先進的な教育も、ごく普通に浸透しています。

実際、オランダで色々な人と話をしたりワークショップを開催していくと、自分の意見をしっかりと持ち、物事に対して受け身にならずに積極的に問題を解決していこうとする姿勢の方がとても多い印象でした。

そんな人々を育むオランダ・ユトレヒト州の4〜12歳が通う基礎学校(basisschool)の音楽教育プログラムとして2017年、この「音楽キッチン」の一部である「Invent Music(音楽をつくる の英語版)」が取り入れられました。

オランダでもここまで創造性にこだわるプログラムは非常に珍しいようで、この話をすると現地の多くの方が興味を示してくれます。

「風景を聴く」回も

この音楽キッチンの中には、ワークシートを片手に耳をすませて街や自然の中を自由に歩きながら「風景を聴く」というフィールドワークも用意されています。

百名ビーチでのフィールドワーク(沖縄県南城市)

ワークシートにはいろいろな質問が書かれていて、今聞こえている音すべてをひとつずつが大きいか小さいか、近いか遠いか、残しておきたいか消してしまいたいか、この場所にしかない音かどうか、あるいはその場所の音全体を聴いたとき、目をつぶると変化があるかどうか、その場所の音を言葉や絵で描き表すとしたらどうなるか、天気が違ったら音にどのような変化がありそうか、半年前や10年前、12時間後や50年後にはどのような音がしていそうか……といったことを考えられるようになっています。

詳しくは、単発のフィールドワークとして開催している「音さんぽ」、または音さんぽについて綴った記事『音の聴き方 〜「音さんぽ」の現場から〜』をごらんください。

音さんぽに参加された方の感想をいくつか挙げてみると───

普段はイヤホンで音楽を聞きながら歩いているので、今まで気づかなかった音・声などなどが聞けて新しい発見ができました。良い気分転換になりました。楽しかったです。

───2013/8/3 音さんぽ@大阪(天神橋筋六丁目)

自分自身を「無」にする貴重な時間でした。目を開けていると勝手に音を想像してしまうのですが、目を閉じることで、自分の体・頭をからっぽにすることができ、浄化されるような気がしました。人生の「点」を共有できたことを嬉しく思います。このワークシートおもしろいですね!聴いたこと、聞こえたことを「コトバ」にすることで、自分が居心地の良い場所がどういう所なのか分かって良いと思います。

───2013/10/20 音さんぽ@沖縄(南城、琉球ニライ大学)

こんなに時間に余裕を持って外の音を集中して聞いたことは無かったです。音楽に生かせそうです。寒い、暖かい、五感的な面で変化すると感じ方も違う。雰囲気って大事だな〜

───2013/2/17 音さんぽ@名古屋(大須)

目を閉じて聴こえてくる音に集中してみると、普段気づかなかった音が聴こえてきたり、こういう音があったらいいのにとか、耳ざわりに感じる音があったりしました。普段写真を撮る時に目に見えるものばかり意識していたので音にも意識を向けてみるとまた表現が 変わってくるのかなと思いました。

───2013/9/15 音さんぽ@鹿児島(天文館)
花畑で耳をすます(オランダ・南ホラント州)

ふだん視覚中心の生活を送っているコトを再認識しました。自分の中での聴覚を持つ意味合いを考えてみたいと思います。

───2013/10/20 音さんぽ@沖縄(南城、琉球ニライ大学)

初めて音さんぽに参加して、音の種類や性質にすごく興味がわきました。音楽ではなく、身近にある音でこんなにも味わうことができると思ってびっくりしました。音を人に伝える際の難しさを感じ、せっかく感じたことは伝えられるようになりたいと思いました。

───2013/7/21 音さんぽ@東京(中野)

普段している音が、あらためて聞くことによりたくさん音がしている事に驚き、家に居る時TVをなるべく消そうと思った。

───2013/9/21 音さんぽ@大分(豊後高田、国東半島アートプロジェクト長崎鼻ワークショップ『音さんぽ』)

街中でも意外と多くの音が鳴っていて、ひとつずつは普通なのに集まることによって「生活」とか「人のいる場所」の音に変わっていく感じが不思議だった。自転車のチェーンや走り出す音、スタンドの音は好き(普通)だけど、ブレーキの音は好きじゃないんだなあと思った。

───2013/8/3 音さんぽ@大阪(天神橋筋六丁目)

皆さまの感想からわかることは、自分たちで新しく何かを作ったり、変化を起こしたりしなくても、すでにある空間・環境でさえ人の考え方・捉え方にこれほど多くの変化を生むことができる、ということです。

各グループがフィールドワークで見つけた「音」をシェアしているところ(オランダ・ユトレヒト州)

これはまさにDの「鑑賞する能力や感性を育む」だけでなく、皆さまの感想にある通り、ここでは音や音楽を飛び越えて日常生活の変化が見込めることもわかります。つまりBの「音楽によって生活を豊かにする」という目的も達成することができそうです。

このフィールドワークで分かることのひとつに「他人の音の聴き方」があります。これはつまり、同じ音ひとつ取っても、自分と他人では違う音の聴き方をしていることもあれば、自分には聞こえていない音が他人には聞こえていることもある、というようなことを知ることで、個性や多様性を認める機会も生まれそうです。

まとめ

私自身、幼稚園〜高校まで音楽教育を受け続け、そこでの教え方に疑問を持ったことが「音楽キッチン」を始めるきっかけとなりました。

現行の音楽教育を見直したものをこうして選択肢として提示することで、一人でも多くの方のお役に立つことができれば嬉しく思います。

もしお子さんに絶対音感を身につけさせたいと考えていらっしゃる場合、こちらの記事「絶対音感は本当に必要なのか?」もあわせてお読みください。

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筆者
profile

小山和音
こやま・かずね

音楽教育の新しいかたち作り(創造性と個性を最優先に、音楽を教えず、評価せず、楽器や楽譜を自分でデザインしてゼロから音楽をつくるオンラインの音楽教室)と、音の生まれるしくみ作り(周囲の条件に反応して音楽や音声をリアルタイムに生み出すシステム開発)。

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