logo logo 音楽家
English
日本語

音楽理論はいらないと作曲家の私が思う理由

公開 2019年3月13日
更新 2023年8月2日
当ページではアフィリエイト広告を利用しています
thumbnail

「音楽理論を勉強しないと作曲や即興演奏はできない」…という意見がありますが、本当にそうでしょうか?

私は(西洋の)音楽理論を学んだ上で作曲の仕事をしてきましたが、曲を作るためには「音楽理論はいらない」と言い切ってしまってもよいと思っています。

もくじ

音楽理論とは?

「こんなときこの音がよく使われている」「こんな音の集まりはこんな機能を持っている」というように音楽の構造や手法などをまとめ、説明したものが「音楽理論」と呼ばれています。

世界中のいろいろな人がいろいろな音楽をいろいろな方法で解釈しているので、実は世界にはいろいろな音楽理論があります(ありました)。

でも、私たちが学校で習ったのはドレミや五線譜(おたまじゃくし)ですね。これは音楽教室でも音楽大学でも、演奏や作曲の現場でも、どこでも同じです。

ところが実はこれ、日本で生まれたものではなくヨーロッパからきたものなので、「西洋音楽理論」と呼んだりもします。

ただ、この「西洋音楽理論」があまりにも普及しているせいで「音楽理論」=「西洋音楽理論」になってしまい、いろいろな思い込みを生んで、私たちの創造力を埋もれさせています。

メロディやコード、リズムとは?

「メロディ」や「コード」、「リズム」と呼ばれているものも西洋の音楽理論に含まれている概念です。

この西洋音楽理論は、ヨーロッパの国々の政治的・軍事的なパワーとともに世界じゅうに広まりました。

しかし日本にはこの西洋の音楽理論が輸入される前から独自の音楽理論があったし、他の国々にも本来いろいろな音楽の捉え方(音楽理論)がありました。

つまり私たちが当たり前だと思っている「(西洋の)音楽理論」というのは、いつのまにか従ってしまっている音楽の見方の一つでしかないので、従わなくても大丈夫です。

ただし現代の音楽はほとんどがこの西洋音楽理論をベースに作られていて、私たちはそれを聴いて育っているので、それ以外の音の並び(音楽理論)には違和感を感じるかもしれません。

作曲に音楽理論はいらない?

現代では、音楽理論に沿って音楽を作るというのが「当たり前」になっていて、音楽学校へ行けば必ず音楽理論を教えられます。

そのため音楽理論がルールのように見えてしまうかもしれませんが、必ずしもそうではありません。その「ルール」を守らなくても音は出せるし、自分の出したい音に出会えるかもしれません。

「ルール」を守っているかどうかより、自分の「出したい音」かどうか。こちらの方が大切です。

作曲に音楽理論は必要だという意見から考えてみる

ありがちな意見をひとつひとつ見ていきましょう。

「音楽理論を学ばないと音楽にならない」

これは、おそらく「西洋音楽理論を学ばないと西洋音楽にならない」と言いたいのだと思います。これはこれでもっともですが、注意したいのは「西洋音楽」=「音楽」になってしまっていないか、というとことです。

「西洋音楽」が「音楽のすべて」と考えてしまうと、「音楽をやるには西洋音楽理論を勉強しなければいけない」という解釈になってしまうし、これでは遠回しに私たちが生まれつき持っていた音楽は「音楽ではない」と言われているようなもので、とても失礼な考え方です。

では、純粋に「(西洋に限定しない)音楽理論を学ばないと(西洋に限定しない)音楽にならない」だとしたらどうでしょうか。

筆者は言葉もあまり喋れない頃から音楽をつくり始め、17歳から音楽学校で西洋音楽理論を学びました。つまり、初めて音楽理論に触れるまでの10年以上の間は理論を勉強することなく音楽を作っていたことになります。

筆者からすれば、正直なところ自分の表現に役立ったと思ったことは一度もなく、自分の即興演奏や作品では音楽理論をまったく意識していません(学校の課題以外で理論的に音楽をつくったことはなく、すべて感覚でつくっていました)。

音楽の定義は人によって違うので、筆者の17歳以前の即興演奏や作品を聴いてそれを「音楽」だと感じる方が一人でもいらっしゃるなら、「音楽をつくり出すのに必ずしも音楽理論は必要ない」ということを証明できます。

「英文法を学ばなければ英語でコミュニケーションが取れないのと同じで、音楽理論を勉強しなければ伝わる音楽を作れない」

音楽と言語には決定的な違いがあります。言語には「意味」が含まれていて、それを「伝える」ために言葉を使うので、受け手ごとに伝わる内容が大きく違っていてはコミュニケーションとして成り立ちません。

一方で(現代の「音楽」という言葉が指す)音楽そのものに「意味」はないため、受け手ごとに内容(感じ方)が大きく違うことは当たり前です。つまり音楽には本来「伝わる」も「伝わらない」もないということです。

逆に考えると、コミュニケーションの手段として音楽を使いたい場合は、この音はこういう意味、というように自分と相手が共通の認識を持っている必要があります。

「(西洋の)音楽理論は人間にとって心地よく聞こえるものをまとめたもの」

この考え方では、自分が好きな音に出会っても「理論的に説明できないから」「理論では禁則とされているから」といって素通りすることになってしまいます。

これではまるでその音楽理論が完璧で、世界にはそれしかないような印象を与え、「音楽理論を自分で作る」という選択肢があることに誰も気づかないでしょう。

音楽理論の知識は必ずしも必要ない

  • 音楽をつくり出すのに音楽理論の知識は必ずしも必要ない
  • 学ぶのは西洋の音楽理論でなくてもよい
  • 創造的であり続けたいなら、必要なときに最小限のものを参考にするのがいちばん無難

ある音楽理論に沿って音楽をつくると、確かに「それっぽい」ものは作りやすくなります。しかしその分、自分の感覚がありふれた音楽に塗り替えられ、自分らしさを捨てることになります。

ご自身やお子さまの創造性を大切にしたいのであれば、まず音楽理論という存在から疑ってかかり、それが自分にとって本当に必要なら参考にして、そうでない限りは距離をおいた方がよいと筆者は考えます。

音楽理論は一つではないし、あなたにも作れる

(西洋)音楽理論を勉強することはまるで「音楽を理解する」ことであるかのように捉えられがちです。確かに(西洋)音楽理論は音楽の捉え方のひとつですが、あくまでも「たくさんある中のひとつ」でしかないということが忘れられ、まるでこれが「音楽のすべて」のように扱われています。

この音楽理論、実はえらい人でないと作れないものではなく、誰でも自分のつくった音楽を自分で解釈して音楽理論を作ったり、逆に自分だけのオリジナル音楽理論から音楽をつくったりすることができます。

難しそうに聞こえるかもしれませんが、大丈夫です。

極端な話ですが、1秒間に100回振動する物だけを使って曲を作る、と決めたとすると、これは立派な音楽理論と呼べます。

筆者が主宰するオンラインの音楽教室「音楽キッチン」では、(西洋の)音楽理論にはあえて一切触れずに音楽をつくります。

音楽キッチンは商品としての音楽を扱う学校ではないため、人が作った音楽理論に触れる必要もないし、触れることで創造性を犠牲にする心配もありません。

記事をシェアする

関連記事

筆者
profile

小山和音
こやま・かずね

音楽教育の新しいかたち作り(創造性と個性を最優先に、音楽を教えず、評価せず、楽器や楽譜を自分でデザインしてゼロから音楽をつくるオンラインの音楽教室)と、音の生まれるしくみ作り(周囲の条件に反応して音楽や音声をリアルタイムに生み出すシステム開発)。

お仕事のご依頼

詳しいプロフィール

カテゴリー


記事のテーマ


記事を探す


日付から探す


人気の記事

フィード

RDF / RSS 1.0
RSS 0.92
RSS 2.0
Atom