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「音楽」とは何か?【研究・論文のための定義】

公開 2016年4月10日
更新 2022年8月21日
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突然ですが、「音」を出してみてください。

次に「音楽的に」音を出してみてください。

どんな違いがありましたか?ここに、今のあなたにとっての「音楽」が表れています。

もくじ

「音」と「音楽」の違い

ただの「音」と「音楽」を比べてみましょう。どちらも「音」なのは同じですね。

「音」を出してくださいと言われたら誰でも、例えば手を叩いたり声を出したり、何も考えずに「音」が出せます。

ところが「音楽的な音」を出してくださいと言われると、「こうしなければいけないんじゃないか」「これでいいのかな?」と、急に自信がなくなってしまう

それは、あなたの中に「音楽ってこういうものだよね」というイメージができあがっている証拠です。

おそらくその中には、まず楽器の弾き方や五線譜の読み方を習って、ドレミやコード進行に沿って「上手な」演奏をしなければいけない、というイメージがあることでしょう。

そして、少しでもそこからそれてしまうと、

 
  • それは間違いです
  • もっとこうしなさい
  • あなたには才能がない
  • 基礎ができていない

…と、あれこれ判断されたり、自分も判断する側になることもあります。これはつまり、音楽に対してこのような見方をしている、ということです。

 
  • 完成された音楽家(例えばバッハやモーツァルト)は正しい、見習うべき
  • 完成された楽器を使うべき(例えばピアノやギター)
  • 完成された楽譜を使うべき(五線譜)
  • 完成された音楽理論(ドレミやコード進行)を使って曲を作ったり演奏をすべき
 

個性と創造力

少なくとも現代では、このような見方が「当たり前」です。ただこれは、言い方を変えれば「ひとつの見方に縛られている」、もっと言えば「表現の自由を奪われている」ようなものです。

確かに「正しい」「見習うべき」存在がはっきりしているのはわかりやすいし、どこへ行っても音楽の表し方が同じなのは便利です。どこの楽器屋さんにも同じ楽器が置いてあるのも便利です。

しかしこの「便利さ」や「わかりやすさ」に頼りすぎてしまったために、もっと大切なものを犠牲にしていると筆者は考えています。

それは「個性」や「創造力」です。

「個性」や「創造力」は誰の中にもあり、それは「その人らしさ」「持ち味」そのものです。

しかしそれに気づかず通り過ぎてしまえば、やがて上書きされて消えてしまいます。現代の音楽の世界で「個性」や「創造力」にきちんと向き合うことができる機会は、残念ながらほとんどありません。

ある音楽が「良い」、ある音楽家が「天才」とされていることで、それと比較したりされたりすることで「自分にはできない」と勘違いをして音楽から離れてしまったり、そのまま一生を過ごしてしまう。

このように、音楽の授業や音楽学校で学んだりすると、まるでそれが音楽のすべてであるかのように見えてしまいます。しかしそれは音楽の見方のひとつでしかなく、実はそうではない見方をすることはできます。

その新しい音楽の見方への第一歩が、この質問です。

「音楽とは何か?」

音楽って何?と聞かれたら、何と答えますか?

「音楽」というものを知らない人に説明すると思って考えてみてください。

おそらくほとんどの方は、考えたことがないかもしれません。しかしAIが作曲・演奏を手がけるようになっている現代、私たちは「創造力」や「人間ならではの表現」について問い直されています。

その創造力や表現について考えるにあたって出発点となるのが、この「音楽とは何か?」という問いです。

意外かもしれませんが、この問いに正解はありません。

「音楽」は「生き物」

言語は時代の変化に合わせて少しずつ変化していくので「言語は生き物」という考え方がありますね。

それと同じで、そもそも「音楽」という言葉が何を指すかは、言語や文化、時代によって少しずつ変わってきます

例えば現代でもラジオやインターネットがなく、外部の音楽を聴くことができないカメルーン北部のマファ族は、欧米や日本の人間が聴けば「音楽」だと感じる文化を持っていますが、彼らの間には(現代の私たちが考える)「音楽」という概念は存在しないようです[1]。

日本では、明治初期までは現代とは少し違うものを音楽と呼んでいたようですが、西洋音楽が学校教育に取り入れられると、それがだんだんと西洋の「music」的なものに変わっていったようです[2]。

そしてその「music」という言葉は、ギリシャ神話で文芸を司る9人の女神(叙事詩・歴史・叙情詩・喜劇・悲劇・舞踊・独唱歌・物語・天文)を表すムーサイ(Moũsai / Μοῦσαι)の技を表すムーシケー(mousikḗ / μουσική)を語源として生まれたとされています[3]。

つまり私たちが「音楽」と聞いて連想する「music」は、もともとは現代の「音楽」よりも広い範囲を指していたことがわかります。

人類の歴史は数百万年もあるのに、たった数千年のあいだにここまで「音楽」の指すものは変わっています。今から数千年経ったら、また変わっていてもおかしくはありません。

そう考えると、「音楽に正解はない」と思えてきませんか。

どこからが「音楽」なのか

次の4つの音を聴いてみてください。

それぞれ、あなたにとって「音」ですか?それとも「音楽」ですか?

実際、ワークショップで上の音声を流してから同じ質問をすると、「音」と「音楽」で毎回意見がバラバラに分かれます。つまり「音」と「音楽」の境界線は人によって違う…別の言い方をすれば、「音」はあなたの中で初めて「音楽」になる、ということです。

「音楽」の定義は人の数だけ存在する

このように、「音楽」というのはまるで雲のように、つかみどころのないふんわりとした存在で、「音」と「音楽」の境界線は人によって違う、つまり「音楽」の定義は人の数だけ存在すると言ってしまってよいでしょう。

よって、誰かがあなたの考えを否定する意味はなく、逆にあなたが誰かの考えを否定する意味もありません。したがってあなたの考えが、あなたにとっての「音楽」です。

現代では人類の大部分が同じ楽器を使って似たような音楽を作ったり聴いたりするようになり、まるで「人類共通の音楽」のようなものが出来上がっています。私たちはその影響を受け、それに従うようになったので、そこに人類共通のルールや優劣、正解や不正解、タブー、暗黙の了解のようなものがあるように見えてしまいますが、それは錯覚です。

このようなものもまた人間があとから作り出したものに過ぎないし、それは人間の中で生まれた見方のひとつでしかないということを覚えておけば、音楽表現で迷うことはないでしょう。

筆者の考え方

ちなみに私は、このように考えています。

音楽 = 概念づけられた音

…意味がよくわかりませんね。できるだけイメージしやすい言葉にしようと頑張ってみたのですが、そうすると「あてはまらない音楽」が出てきてしまうので、これが精一杯でした。

何が言いたいかというと、たとえばあなたが「エヘン」と咳払いをしたとします。

この「エヘン」は、誰かが「音楽だ」と言わなければただの「音」です。つまり「音楽だ」という「概念づけ」をすることで、ただの「音」が「音楽」に変わるということです。

…なんとなく伝わったでしょうか?筆者の中では、「音」と「音楽」の違いは、たったこれだけです。

まったく音が存在しない作品があったとしたら、それは私にとって「音楽」ではありません。

これが正解ではないので、私の考えは参考程度に留めて、ご自分の考えを大切になさってください。

とはいえ、「エヘン」は私たちがイメージする「音楽」とはだいぶ違いますね。ではどんなものがあれば「音楽らしさ」が強くなるでしょうか?

私は、二つの要素が関係していると考えています。

1 パターン(規則性)

ただの物音であってもそこに「パターン(規則性)」があるだけで、ただの「音」から「音楽」へ近づくのではないか、と筆者は考えています。

この鳥の声を聴いてみてください。

これではあまり音楽だとは感じにくいかもしれませんが、こちらはどうでしょうか?

最初の鳥の声に規則性をつけてみました。「音楽」に近づいたと感じる方もおられるかもしれませんね。

これはどうでしょうか?楽器として作られていないものの音ですが、規則性を持たせることによって「音楽」だと感じさせようとしています。

2 音の高さ

テレビやラジオの砂嵐(チャンネルが合っていないときの「ザー」)や波の音というのは、音の高さを感じにくいですね。それに対して鳥の声や車のクラクションは感じやすいです。この「高さを感じやすい音」があるかないかでも、ただの「音」と感じるか「音楽」と感じるかが変わってくるのではないか、ということです。

音楽はなぜ存在するのか

音楽はなぜ存在するのでしょうか?

音楽がなぜ存在するのか、そしてどのようにして生まれたのかはいまだに謎ですが、それは現代の意味での「音楽」を基準に考えているから分からないのかもしれません。

現代、私たちは「音楽」を「演劇」や「身体表現」と別のものとして考えていますが、過去にはそれらは同じものだったこともあるし、もっと大きいものの一部、あるいは人間の英知を超えた「何か」であった可能性もあります。

演奏をしているときの高揚感は、気の合う仲間と話しているときの楽しさやおいしい料理を食べているときの幸福感と同じものだったかもしれないし、それはまるで空気のように当たり前のものだったかもしれません。

ところが人間が進化するにあたって、それがいつしか当たり前でなくなり、「音楽」や「演奏」という分類や「上手い・下手」や「才能がある・ない」という評価を始めた結果、音楽はどんどん特別な存在だと思い込まれるようになったのかもれしれません。

音楽には記憶力を向上させたり、欠如した身体能力を補ったりする力があるという研究結果をたまに見かけますが、そちらが元々「当たり前」の機能で、今は失われたものだとしたら、音楽に特別な力があるように感じることにも説明がつきます。

まとめ

こうして音楽の謎を体感してみると、当たり前だと思っていた「音楽」がいかに狭いものだったが見えてきます。

実際、現代の音楽教育はその狭い視野を受け継いでいるので、みなさんもその影響を受けているかもしれません。筆者もそうでした。

しかし、こうしていろいろ考えてみると、音楽を別の角度から見ることができるようになり、自分の音楽を否定されるようなことがあっても「あの人の見方を押し付けられているだけだよね」「視野の狭い人かもしれない」と客観的に受け止めることができるようになります。

これは、自分が望む表現をするために今何から始めるべきかを教えてくれる、とても重要な考え方だと思っています。

あなたにとって、「音楽」とは何ですか?

参考文献
  • [1] Thomas Fritz, Sebastian Jentschke, Nathalie Gosselin, Daniela Sammler, Isabelle Peretz, Robert Turner, Angela D. Friederici, Stefan Koelsch. Universal Recognition of Three Basic Emotions in Music. Current Biology, 2009; DOI: 10.1016/j.cub.2009.02.058
  • [2] 『哲学・思想翻訳語事典』(論創社, 2013)
  • [3] “Mousike, Henry George Liddell, Robert Scott, A Greek–English Lexicon, at Perseus”. perseus.tufts.edu. Retrieved 27 October 2015.

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筆者
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小山和音
こやま・かずね

音楽教育の新しいかたち作り(創造性と個性を最優先に、音楽を教えず、評価せず、楽器や楽譜を自分でデザインしてゼロから音楽をつくるオンラインの音楽教室)と、音の生まれるしくみ作り(周囲の条件に反応して音楽や音声をリアルタイムに生み出すシステム開発)。

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