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そもそも「音楽」とは何か?

2016年4月10日

突然ですが、「音」を出してみてください。

出せましたか?では次に「音楽的に」音を出してみてください。

どんな違いがありましたか?その違いにこそ、「音楽とは何か」という問いの答えが隠されています。

音楽って何?と聞かれたら、何と答えますか?

おそらくほとんどの方は、音楽家でさえ、このようなことは考えたことがないかもしれません。ここに着目する人がそもそもいないため、誰かからこのような質問をされることもなければ、考える必要もなかったのです。しかしすでにAIが作曲・演奏を手がけるようになっている現代、私たちは「創造性」や「人間ならではの表現」について問い直されています。その創造性や表現について考えるにあたって出発点となるのが、この「音楽とは何か?」という問いです。

音と音楽の境界線はどこ?

まずは、下の4つを聴いてみてください。これはただの「音」ですか、それとも「音楽」ですか?

実際にこれをワークショップで参加者に尋ねてみると、面白いことが起こります。1つ目は全員が「音楽」、ところが2〜4つ目は、かなりの確率で「音だ」という人と「音楽だ」という人に分かれます。ここからわかるのは、「音」と「音楽」の境界線は、人によって違うということです。

質問に戻りましょう。 音楽って何?と聞かれたら、何と答えますか?

意外かもしれませんが、正解はありません。

もう少し正確に言うと、すべての「音楽」を網羅できる完璧な定義というのも作れるかもしれませんが、抽象的になりすぎてしまうため、個人の解釈にまかせた方が実用的といえます。

「リズム」や「メロディー」のことを思い浮かべた方もおられるかもしれません。確かにそういったものが音楽の要素であると書かれたものもありますが、それはおそらくヨーロッパをルーツとする「西洋音楽」的な捉え方に影響されたもの、つまり音楽のひとつの見方でしかなく、すべての人類に共通するものではありません。

「音楽」というのはまるで雲のように、つかみどころのないふんわりとした存在で、「音」と「音楽」の境界線は人によって違う、つまり「音楽」の定義は人の数だけ存在すると言ってよいでしょう。誰もあなたの答えを否定する意味はなく、逆にあなたも誰かの答えを否定する意味はありません。したがってあなたの答えが、あなたにとっての「音楽」であると言えます。

「音楽」というのは、そもそも人間が作った概念です。音の正体は(聞くことのできる)振動ですが、例えば音楽という概念を持たない動物にとっては「音」も「音楽」もただの「振動」にすぎません。しかもその「音楽」という言葉が指すものは、人間のあいだでも言語や文化、時代によっても少しずつ異なることがあり、「音楽」だけ分けて考えることさえできない可能性もあります。

音楽はトリックアート(だまし絵/トロンプ・ルイユ)に例えることができます。絶対的なひとつの見方があるのではなく本当はいろいろな見方ができるにもかかわらず、社会的にひとつの見方が当たり前になりすぎてしまっているために、ほとんどの人はそもそもそれがトリックアートであることにすら気づいていない、というわけです。

現代では人類の大部分が同じ楽器を使って似たような音楽を作ったり聞いたりするようになり、「人類共通の音楽」というような共通認識が出来上がっています。その影響を受け、それに従うようになったため、そこにあたかも全人類に共通する音楽のルールや優劣、正解や不正解、タブー、暗黙の了解といったものがあるように見えてしまいますが、これは錯覚です。このようなものもまた人間が作り出したものに過ぎないし、それは人間の中で生まれた見方のひとつでしかない(トリックアートであることに気づいていないか、それを認めていない)ということを覚えておけば、音楽表現で迷うことはないでしょう。

アメリカの音楽家ジョン・ケージの作品に「4分33秒」というものがあります。これは、ステージに置かれたピアノの前に演奏者が座ったまま4分33秒間何もせず、このとき聞こえてくる観客のざわめきや咳、くしゃみ、そしてその会場の環境音などそこに存在する音すべてが「音楽」であるという作品です。つまりこれがジョン・ケージさんにとっての「音楽」です。もちろんここでも「これは音楽ではない」という人がいるでしょう。しかしその意見はその人の中にしか存在しないのであって、すべての人に共通するものではないということです。これは4分33秒に限らず、どのような「音楽」に対しても同じことが言えます。

筆者の考え方

ちなみに筆者はこのように考えています。

「音楽」=人間が概念づけた音の組み合わせ

この考え方は音楽の中でもかなり抽象的なためとても広い範囲の「音楽」がこれに当てはまりますが、やはりすでに抽象的すぎて、定義だけ聞いてもあまりピンと来ないかもしれません。

ポイントは「人間が概念づけた」というところで、いくら人間が「美しい」とする音楽でも物理的にはただの「振動」であることに変わりはなく、その「振動」は人間の中に入って初めて「音楽」になる、ということです。

「組み合わせ」というのは「音」と「音以外の部分」という意味ですが、これはつまり「音」だけでなく「音以外の部分(音がない部分)」も音楽の一部であるという捉え方です。

そして筆者としては、ここに2つの要素が揃うと人間は「音楽だ」と感じやすくなると考えています。

一つは、パターン(規則性)。学生のみなさんには真似をしないでほしいのですが、例えば授業中に机を一回コンと叩くとしましょう。これは先生を含め、おそらくすべての人にとって「音(物音)」であるため、もちろん先生は気にとめません。しかしもし生徒が結託して、いろいろな生徒が咳払いやノートを取るペンの音だけでビートを作って「演奏」したら、明らかに偶発的な「物音」ではないので先生は異変に気付き、注意しようとするでしょう。ところが生徒に偶然のように装われてしまったら、先生は何に対して注意をしようとしたのか説明できなくなり、ここで「音楽の定義」について考えさせられることになります。つまり、ただの物音であってもそこに「パターン(規則性)」があるだけで、ただの「音」から「音楽」へぐっと近づくのではないか、ということです。

もう一つは、音の高さ。テレビやラジオの砂嵐(チャンネルが合っていないときの「ザー」)や波の音というのは、音の高さを感じにくいですね。それに対して鳥の声や車のクラクションは感じやすいです。この「高さを感じやすい音」があるかないかでも、ただの「音」と感じるか「音楽」と感じるかが変わってくるのではないか、ということです。

この2つの要素は同時になければいけないわけではなく、どちらか片方あるだけでも「音楽」と感じる可能性が高くなるというものです。

まとめ

音楽というのはこれほどまでに広くて色々な角度から捉えられるということを実感してみると、当たり前だと思っていた音楽の見方がいかに狭くて支配的(まるでそれしかないような偏見を生む)であるかが見えてくるのではないか、と筆者は考えています。

実際、音楽を指導する立場にある人の中にも、このようにひとつの見方をあたかも正解のように提示することしかできない狭い視野を持った人がたくさんおり、その人の教え子もまたひとつの見方から抜け出せなくなり…ということは繰り返し起こってしまうため、あなたもその影響を受けているかもしれません。

でも、この「音楽とは何か?」という問いに立ち返ってみると、今まで見ていた音楽を別の角度から見ることができるようになり、自分の音楽を否定されるようなことがあっても「あ、あの人の見方を押し付けられているだけなんだ」「視野の狭い人かもしれないな」と客観的に受け止めることができるようになります。息をのむほどの大自然や星空を目の前にすると、自分の抱えていた悩みがちっぽけに感じるのと同じです。

この問いは「音楽にとって本当に必要なものは何だろうか?」と考えたときに出てくるひとつの疑問でもあり、自分が望む表現をするために今何から始めるべきかを教えてくれる、とても重要な問いだと思っています。

あなたにとって、「音楽」とは何ですか?

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筆者プロフィール
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小山和音(こやま・かずね)

オランダ在住の音楽家。「評価しない・教えない・自分たちで作る」にフォーカスしたオンラインの音楽学校、音声や音楽に特化したソフトウェア開発、音や音楽を扱うワークショップや講座、音楽レッスン、作曲・即興演奏などを本業としています。

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